●起業しやすい環境とは? - 直野典彦 (アゴラより抜粋)●
企業家の直野典彦さんの、大変かっこよく、非常に共感した記事を今日は紹介します。
(以下、アゴラより抜粋)
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起業しやすい環境とは?
■勉強部屋と成績の関係
総じて日本企業に元気がありません。景気循環としての単なる不況ではない、構造的な変化を多くの人が感じています。世界市場における地位低下で、国内の雇用を維持することが困難であるという状況は、今後も続くと思われます。また、硬直化した雇用制度によって、牽引車となるべき大企業の構造改革が進まないだけでなく、若年層の非正規雇用が一般化することで、若者への知識技能の伝達や人材育成に障害をきたし、このためさらに競争力が低下するという悪循環に陥っています。
この原因については、論者の間でも様々な議論があります。しかし、この状況を打破するために必要なのが「国際的な競争力のある新しい企業や産業を興すこと」であることに異論はないようです。そして、さらにこれを実現する方法として、やはり論者が一致するのが「ベンチャー企業の育成」や「起業しやすい環境作り」です。
「起業しやすい環境作り」の具体的施策については議論百出の感があります。規制緩和系と、支援・補助金系に大別されるようですが、ここではこの議論には立ち入らず、「起業しやすい環境」について、実務者の目から見た私見をご紹介したいと思います。
結論から申し上げれば、私には「起業しやすい環境」がどのような環境なのかよくわかりません。ベンチャー企業の実務に携わる私には「日本がどういう社会だったら起業がしやすかったか?」と問われても、答えられないのです。「どういう勉強部屋を作れば、成績が上がるか?」というところでしょうか。
日本で影響力のあるベンチャー企業が育たない原因としては、たとえば「インフラが脆弱」、「資金調達が難しい」、「過度な個人保証」、「規制が多い」、「優秀な人材確保が難しい」、「言葉の壁があり海外進出が困難」といったものから、「公的支援が足りない」まで様々な問題が指摘されています。私も、(最後を除いて)間違いではないと思います。
しかし、こういった困難は今に始まったことではありません。「ソニーやホンダも昔はベンチャー企業だった」とよく言われます。ソニーやホンダに限らず、戦後創業したあまたの新興企業群が、その後大企業となり、今日の日本の経済的繁栄を支えています。
それでは、この当時は今より「起業しやすい環境」が整っていたのでしょうか。
私は当時を知りませんが、おそらく現在と比べて社会資本の蓄積は絶望的に少なく、資金調達は困難を極め、人手不足で人材採用は厳しく、制度的規制ははるかに多く、人々はずっと保守的で、日本人は外国語が今より苦手で、海外市場における日本のプレゼンスは無きに等しく、という具合だったのではないかと想像します。にもかかわらず、世界で戦える企業が次々と成長していったのは紛れもない事実です。日本特有の困難もあるとは思いますが、総じて躍進著しい新興国群に比べて、日本のベンチャー企業だけが格別不利な状況に置かれているというのも、直感的にもっともらしくありません。
■むしろ恵まれているのでは?
私は、日本のベンチャー企業が育つ環境は、むしろ急速に改善されつつあると思っています。ここ数年、大企業におけるキャリアパス等の問題で、日本でもようやく職歴・学歴とも申し分ないトップレベルの人材がベンチャー企業の転職市場に散見されるようになっています。米国と比較した日本のベンチャーキャピタル投資の問題点がよく指摘されますが、実務者として、日本でもリスクマネーの供給メカニズムは、ある程度ですが正常に働いているという実感があります。
よく指摘される日本の特有の問題として、過度な個人保証があります。これは実務者にとって確かに大きな問題なのですが、融資やリースもつまるところ裁定取引であって、個人保証を外せば資金調達コストは上昇します。トレードオフがあるわけで、時折目にする「日本では金融機関が債務者を搾取している」的なストーリーは的はずれと感じます。(個人保証の本当の問題は、経済全体として最適でないナッシュ均衡に落ちている点にあると考えます。これについては重要な論点を含みますので、改めて議論させてください。)
やはり特筆すべきは、情報技術の進歩です。特に情報産業に関して言えば、ベンチャー企業の大企業に対する比較劣位は、ここ数年で劇的に低下しました。高い技術力と戦略性さえあれば、大きなスケールの製品やサービスを世に問い、大企業と互角以上に戦うことが、格段に容易になってきています。たとえば、私たちの会社の場合、2年前のクラウド環境では、今と同じことは決してできませんでした。今でも、Amazon社などから毎月のように新たなサービスがリリースされています。クラウドインフラの変化の速さと、そしてビジネスに与える影響の大きさとには、ただ驚くばかりです。
それでも、国際的な影響力のあるベンチャー企業がなかなか出現しないことが、この国の将来に対する展望を、暗いものにしています。環境は良くなっているのだとすれば、なぜ以前の日本のように、あるいは今の新興国のように新たな企業群が次々と世界に羽ばたいてゆかないのでしょうか。「ムカシノヒトはエラカッタ」のでしょうか。
■リスクをとらないことが最大のリスクに
この答えは明白であるように思われます。それは、日本が豊かになって久しく、その結果として日本人のアニマルスピリッツが失われている結果に他なりません。日本で暮らす私たちには、特にトップ層の若者には、リスクをとって新しいことにチャレンジする「必要」が、総じてないのです。
しかし、私は二つの理由から、今は過渡期に過ぎず、近い将来世界で戦えるベンチャー企業が、日本でも次々と出現すると考えます。
第一の理由は、あまり愉快なことではありませんが、日本経済の地盤沈下や、それに即応できない社会制度の結果として、リスクをとって新しいことにチャレンジする「必要」が生まれるからです。既に、多くの若者が「リタイヤまで逃げ切れれば得だが、何かあったら一巻の終わり」というリスクを感じつつあります。
第二の理由は、どのような時代、どのような国にあっても、特に若者達の、イノベーションへの渇望は代わることがなく、新しいことにチャレンジする最大の理由は、それ自体が楽しいからです。私がシリコンバレー時代に知り合った経済的成功者の多くが、気ままに暮らすことに耐えられず、またぞろ新たなチャレンジを始めるのを見て、「仕事をしている時は文句ばかりのくせに、やっぱり楽しいんじゃないか」よくからかっていました。この点は日本でも同じはずです。「知的欲求」という強い誘因があるわけで、もとより現状維持がリスクをとらない選択より分が悪い状況を目の当たりにすれば、人々はこぞって新たなチャレンジを始めるようになるでしょう。
結局のところ、閉塞感を打破するのは制度設計者ではなく、実務者の側であり、彼らが革新的技術や新しいビジネスモデルで多大な収益を実現できるという「実績」を見せるより他に、出口はないということだと思います。ある程度大きな仕掛けの、ましてやこれまでにない技術やビジネスモデルによる事業を興し、さらに成功しようとすれば、次々に無数の困難が降りかるのは、当たり前のことです。資金調達が困難であろうとも、優秀な人材の確保が困難であろうと、数々の規制に邪魔されようと、外国語の壁があろうと、≪≪万難を排して革新的技術で世界のゲームのルールを変えるビジネスモデルを作りだし、利益を生む「実績」を実務者がつくらなければ≫≫、この状況が変わることはありません。
習慣が悪い、制度が悪い、利害関係者が悪いというのは実務者が口にしてはならず、あくまでもすべての――日本で革新的なベンチャー企業が出てこないというマクロスコーピックな状況も含め――結果責任は実務者側にあると、私自身は考えています。もちろん、私自身のビジネスが成功する保証など全くないわけですが。
このような考えを持つのは、おそらく私だけではないでしょう。私が実務で知り合うほとんどの人は(企業の規模を問わず)、同じ世界観を持っていると感じます。彼らは、自己の責任において、リスクを恐れず道を切り開こうと前向きに努力する人たちであり、制度上の不備や矛盾をも創意工夫によってかいくぐり、成功を目指している人たちです。実のところ多くの、いやほとんどの日本人が、このような地道な努力を、豊かになった今でも続けているはずです。そして、このような名もない実務者達の不断の努力こそが、次世代を担う技術やビジネスが生む唯一の原動力なのです。
■再び勉強部屋と成績について
以上のように私は、インフラ、制度、資金調達、人材といったテクニカルな面で、起業の環境は確実に良い方向に向かっているし、その結果、影響力のあるベンチャー企業は近い将来多く出現するようになると思っています。
しかし同時に、昨今の日本社会を覆いつつある「空気」について、不安も感じます。窮状を知恵と努力で打開することより、窮状を社会に周知する戦術にこそ高い価値があるという「空気」はないでしょうか。税金を貰う人が、税金を払う人の犠牲者であるかのごとき議論に疑問を感じないような「空気」はないでしょうか。有り体にいえば、「成績が悪いのは、勉強部屋が悪いから」と片づけてしまう誘惑に、私たちは負けつつあるのではないでしょうか。特に、社会を主導すべき人々の間で、善意の名のもと、嫉妬をかきたて、怨嗟を増幅するような誘導が、随所で見られるようになっていることに、強い危機感を覚えます。
この種の「空気」が、人々の新たなチャレンジに対する自由、余地、動機、そしてアニマルスピリッツを蝕んでゆく元凶なのです。閉塞感の原因は制度的問題ではなく、私たちの心の中にこそある。
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その通りですね。
まったく、その通りだと思います。
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